ドイツ詩とリートの世界

リートを詩の解釈の面から探求していくブログ

アンナ・ルチア・リヒターのシューベルト・アルバム

若手ソプラノのアンナ・ルチア・リヒター (Anna Lucia Richter)のシューベルトのリート・アルバムが出たので聞いてみました。ピアノ伴奏はゲロルト・フーバー(Gerold Huber)、「岩の上の羊飼い」D965のクラリネットでマティアス・ショルン(Matthias Schorn)が参加してます。

 

アルバムのタイトルはD456から"Das Heimweh". 収録曲はヴィルヘルム・マイスターのミニョンの歌3曲と、湖上の美人からエレンの歌3曲の他、長大な「スミレ」D786が入ってるのが珍しいでしょう。「月に寄せて」D259や「こびと」D771、「最初の喪失」D226といったお馴染みの曲に、女声では珍しい「墓掘り人の郷愁」D842も入ってます。「郷愁」D456の後に「墓掘り人の郷愁」を置くのはなるほど盲点でした。

 

リヒターを初めて聞いたのは2014年5月 SWRシュヴェツィンゲン音楽祭でミハエル・ゲース(Michael Gees)とのデュオでシュトラウスを中心としたリーダー・アーベントが放送された時で、衝撃をよく覚えています。前年のSWRシュヴェツィンゲン音楽祭ではハンナ-エリザベートミュラーがデビューしてますので、2年続けて今後のリート会を背負うソプラノ歌手が『世に出た』と感じたものです。

 

リヒターの優れた点は声の美しさとコントロールはもちろん、正確な発音を駆使した細かなニュアンスの表現の巧みさにあると感じています。例えばややゆったり目のテンポの「月に寄せて」D259の第1節の”endlich"や第2節の"Freundes Auge mild"の繊細な表現は詩の語り手としての優れた能力を示していると言えるでしょう。第6節と第7節で2行ずつ表現を変えるのは一般的ですが、リヒターはそれが非常に明確。そして第8節と第9節はさらにテンポを落として孤独なさすらい人の幸福感を十二分に感じさせています。

 

リヒターの語りへのこだわりはバラード「こびと」や「墓掘り人の郷愁」はもちろん、「僕の心に」D860のような速いテンポで言葉が続く曲でも全くぞんざいにならず、詩に深く共感し、それを語り、表現することを心から楽しんでいるのが強く感じられます。「スミレ」を全く退屈させずに歌いきるのは至難の業ですが、それを怖れずリート・アルバムに入れたことで彼女のこだわりと自信が窺え、実際にリート・ファンにとっては素晴らしいアルバムになりました。

 

youtu.be

シューベルト 『こびと』

Der Zwerg

Im trüben Licht verschwinden schon die Berge,
Es schwebt das Schiff auf glatten Meereswogen,
Worauf die Königin mit ihrem Zwerge.

Sie schaut empor zum hochgewölbten Bogen,
Hinauf zur lichtdurchwirkten blauen Ferne,
Die mit der Milch des Himmels blaß durchzogen.

„Nie, nie habt ihr mir gelogen noch, ihr Sterne,“
So ruft sie aus, „bald werd’ ich nun entschwinden,
Ihr sagt es mir, doch sterb’ ich wahrlich gerne.“

Da tritt der Zwerg zur Königin, mag binden
Um ihren Hals die Schnur von roter Seide,
Und weint, als wollt’ er schnell vor Gram erblinden.

Er spricht: „Du selbst bist Schuld an diesem Leide,
Weil um den König du mich hast verlassen,
Jetzt weckt dein Sterben einzig mir noch Freude.

Zwar werd’ ich ewiglich mich selber hassen,
Der dir mit dieser Hand den Tod gegeben,
Doch mußt zum frühen Grab du nun erblassen.“

Sie legt die Hand auf’s Herz voll jungen Leben,
Und aus dem Aug’ die schweren Tränen rinnen,
Das sie zum Himmel betend will erheben.

„Mögst du nicht Schmerz durch meinen Tod gewinnen!“
Sie sagt’s, da küßt der Zwerg die bleichen Wangen,
D’rauf alsobald vergehen ihr die Sinnen.

Der Zwerg schaut an die Frau, vom Tod befangen,
Er senkt sie tief ins Meer mit eig’nen Händen.
Ihm brennt nach ihr das Herz so voll Verlangen,
An keiner Küste wird er je mehr landen.

                                                  Matthäus von Collin

 

今回はフランツ・シューベルトの友人の一人でもある詩人 マテウス・フォン・コリンの詩によるバラード(Ballade)です。バラードの定義はなかなか難しいですが、叙情詩という大きなジャンルの一つで、物語的要素の強いものがバラードと呼ばれます。ゲーテの『魔王』が最も有名でしょう。シューベルトが作曲したバラードはその『魔王』の他にシラーの長大なバラードが知られていますが、リートファンの中で人気があるのがこの『こびと』だと思います。特にイアン・ボストリッジが演奏、録音して広く知られるようになりました。

コリンの詩は原題が „Treubruch“. 難しい題ですが『誠実の崩壊』くらいのニュアンスでしょうか。とりあえず詩の中身を見てからこの原題について考えて見ましょう。全9節からなる弱強格の3行詩で、最後の第9節だけ4行です。やや長いので詰まりそうなポイントを絞って見ていきます。

 

第1節

1:1 Im trüben Licht verschwinden schon die Berge,
1:2 Es schwebt das Schiff auf glatten Meereswogen,
1:3 Worauf die Königin mit ihrem Zwerge.

1行目の主語はdie Berge. 2行目のglatten Meereswogenは「滑らかな海の波」。

3行目は関係副詞 Woraufが2行目のdas Schiffを受けています。動詞が無いのでsein動詞の省略と考えましょう。

 

第2節

2:1 Sie schaut empor zum hochgewölbten Bogen,
2:2 Hinauf zur lichtdurchwirkten blauen Ferne,
2:3 Die mit der Milch des Himmels blaß durchzogen.

1行目のSieは1:3で登場したdie Königin. hochgewölbten Bogenは何のことか分かりにくいかもしれませんが、端的に言えば「天球」の弧のことです。

2行目のlicht-durchwirktenは「光がdurchwirkten(織り込まれた)」。

3行目のDieは関係代名詞で直前のFerneを受けます。durchzogenは非分離動詞 durchziehenの過去分詞で受動。「水や匂いが染み渡る」などの意味を持ちますが、「mit3格+4格」で「3格で4格を覆う」という用法があります。受動なのでここでは4格になるDie (Ferne)が主語になって「mit3格で覆われる」ですね。blaßは使用頻度の高い形容詞・副詞で、「色が薄く淡い」イメージ。

 

第3節

3:1 „Nie, nie habt ihr mir gelogen noch, ihr Sterne,“
3:2 So ruft sie aus, „bald werd’ ich nun entschwinden,
3:3 Ihr sagt es mir, doch sterb’ ich wahrlich gerne.“

ここから登場人物2人の会話が始まります。2行目にsie ruft ausとあるので王妃の台詞です。

1行目でihr Sterne「おまえたち星々よ」と呼びかけているので、空を見上げた王妃がそのまま星々に呼びかけています。gelogenは動詞lügen「3格に嘘をつく、偽る」過去分詞でここでは完了。nieがあるので「私に嘘をついたわけではない」。話し始めとしてはただ事ならない気配がしますね。ここのnochは非常に解釈が難しい気がします。時間的に「まだ」と取ることが多いですが、「これから裏切られるということ?」と思ってしまうので、今後の展開と併せて考える必要があるでしょう。

2行目はentschwindenが「消え失せる」で王妃が『死』を予感していることが分かります。

3行目はIhr sagt es mir「おまえたちはそれを私に言った」。esは直前の「私がもうすぐ消え去ること」。dochは強い逆接で、wahrlich gerneは「本当に喜んで・進んで~する」。

つまりこの節は「おまえたちが私に嘘をついたわけではなく、おまえたちが言っていたとおり私はすぐ死ぬけれど、私は喜んで死ぬ」という内容ですので、1行目のnochは「こんな状況だけれど、『それでも』おまえたちが嘘をついたわけでは決して無い、おまえたちはそれをすでに告げていてくれた」というニュアンスでしょう。

 

第4節

4:1 Da geht der Zwerg zur Königin, und bindet
4:2 Um ihren Hals die Schnur von roter Seide,
4:3 Und weint, als wollt’ er schnell vor Gram erblinden.

そしてこびとが何も語らず動き始めます。不気味ですね。

1行目をコリンはこう書いていますが、シューベルトは"Da tritt der Zwerg zur Königin, mag binden"に修正しており、明らかに後者の方が良いでしょう。magで「~したい」というこびとの意思が感じられると共に、3行目と繋がっての葛藤も感じられる点が実に見事です。

bindet以下2行目に繋がり、um4格+4格で「~の回りを・・・で縛る」。

3行目のweintの主語ももちろんder Zwerg. alsは「~のように」、「~なほどに」。vor Gram erblindenは「悲しみのあまり盲目になる」というvorの重要な用法の一つです。

 

第5節

5:1 Er spricht: „Du selbst bist Schuld an diesem Leide,
5:2 Weil um den König du mich hast verlassen,
5:3 Jetzt weckt dein Sterben einzig mir noch Freude.

ようやくこびとが話し始めます。

1行目Schuld an3格で「~の責任がある」。この行は「あなた自身にこの苦しみの責任ある」となります。duはもちろん王妃に対して話しています。「この苦しみ」は4:3を受けて「こびとの苦しみ」と理解しましょう。

2行目はumがここでは「理由」の前置詞。4格+verlassenで「~を見捨てる」。

3行目は動詞weckenが「3格に~(4格)を目覚めさせる、呼び起こす」。ここではmirとFreudeを取って「私に歓びを呼び起こす」。einzigが「唯一~だけが」で、何にかかるかが問題です。単純に文章全体に掛かると思えば「あなたの死は私に歓びを呼び起こすだけ」と読めますが、後置的にdein Sterben einzigでまとめて「あなたの死だけが」と読んだ方が素直に思えます。

 

第6節

6:1 Zwar werd’ ich ewiglich mich selber hassen,
6:2 Der dir mit dieser Hand den Tod gegeben,
6:3 Doch mußt zum frühen Grab du nun erblassen.“

こびとの独白が続きます。

1行目 zwarはよく冒頭に置かれる副詞で「確かに~だけれど」。hassenは「4格を憎む」。

2行目の関係代名詞Derはich=michを三人称で受ける、ちょっと珍しいケースです。dir den Tod gegebenで「あなたに死を与えた」。1行目が未来形なので、ここで完了形になっているのがちょっと面白いところかと思います。

3行目 動詞erblassenが「色を失う」というところから「死ぬ」。zum frühen Grabのfrühはいわゆる寿命を迎える前の「早逝の」という意味合いで、割とよく目にする表現です。

 

第7節

7:1 Sie legt die Hand auf’s Herz voll jungen Leben,
7:2 Und aus dem Aug’ die schweren Tränen rinnen,
7:3 Das sie zum Himmel betend will erheben.

こびとの独白が終わって王妃に視点が移ります。

1行目はdie Hand auf~ legenで「~の上に手を置く」。Herz voll jungen Lebenで「若い生命力に満ちあふれた胸」くらいのニュアンスです。Herzは精神的な「心」という意味も、物理的な「胸」という意味もあり、ここでは後者で良いでしょう。

 

第8節

8:1 „Mögst du nicht Schmerz durch meinen Tod gewinnen!“
8:2 Sie sagt’s, da küßt der Zwerg die bleichen Wangen,
8:3 D’rauf alsobald vergehen ihr die Sinnen.

2行目にsie sagt'sとあるので、1行目は王妃の最後の台詞です。

Mögst du~で「あなたが~しますように」という願望表現。Schmerz gewinnenで「痛みを得る」。王妃の側からのこびとへの感情が感じられる台詞は実際この1行だけですが、それでも十分なほどの説得力がある台詞です。

2行目 die bleichen Wangenは「青ざめた頬」。bleichは2:3同様に「色が落ちる」イメージ。調べてませんが同じ語源でしょうか・・・

3行目 daraufは前の文章の内容を受けます。D’rauf alsobaldで「するとすぐに」くらいでしょう。ihr(女性3人称代名詞の単数3格) die Sinnen vergehenは「彼女のsie Sinnenが消える」。Sinnは非常にいろいろな意味があって意味を捕らえにくい単語だと思いますが、第1義は「感覚・意識」で複数形で「正常な意識・正気」の意味で使われるため、ここでは「彼女の意識が消える」となります。

 

第9節

9:1 Der Zwerg schaut an die Frau, vom Tod befangen,
9:2 Er senkt sie tief ins Meer mit eig’nen Händen.
9:3 Ihm brennt nach ihr das Herz so voll Verlangen,
9:4 An keiner Küste wird er je mehr landen.

最終節です。

1行目 die Königinがdie Frau, vom Tod befangen「死に捕らえられた女性」と何か冷たい感じの表現になっています。

3行目は主語がdas Herzでihmがあるので「彼の心」、動詞句はnach ihr brenntで「彼女を求めて燃える」。

4行目 An keiner Küste landenが「どの岸にも上がらない」。je mehrが「いつかまた」で、否定と共に「もう2度と~ない」となります。

 

 

以上、要点をざっと見てみました。バラードはこのように舞台背景などの説明は行わず、詩の中で様々な情景を想像させるジャンルですので、この詩を読んで王妃とこびとの間にどんなことがあってこのような悲劇的結末に陥ったのか想像してみるのもバラードの楽しみ方でしょう。そういう意味で原題の„Treubruch“は想像の良いヒントになると思います。

シュトラウス 『明日には!』

Morgen!

 

Und morgen wird die Sonne wieder scheinen,
und auf dem Wege, den ich gehen werde,
wird uns, die Glücklichen, sie wieder einen
inmitten dieser sonnenatmenden Erde . . .


Und zu dem Strand, dem weiten, wogenblauen,
werden wir still und langsam niedersteigen,
stumm werden wir uns in die Augen schauen,
und auf uns sinkt des Glückes stummes Schweigen. . .

 

                                              - John Henry Mackay

 

今回はリヒャルト・シュトラウスの代表的なリートの一つです。詩人のJohn Henry Mackayは父親がスコットランド人、母親がハンブルク出身の家庭でスコットランドで生まれましたが、2歳で父親が死んでドイツに戻り、そこで育ったという人物です。作家であるだけではなく無政府主義の思想家ということですが、シュトラウスがいくつかの詩に作曲し、いずれもこの作曲家の代表的リートになっています。

 

"Morgen!"の表題はシュトラウスによるもので、意味は名詞で「朝」、副詞で「明日」。"Guten Morgen!"の挨拶を略して"Morgen!"と言ったりもします・・・ 詩の1行目で副詞として使われるので、この表題も副詞として解釈されるのが通例ですが、シュトラウスの作曲はゆったりとしたやや幻想的な雰囲気が強いので、「明日の朝!」と訳す人もいますが。

少しだけシュトラウスが原詩に手を加えているので、上にはシュトラウスが手を加えたものを掲載し、以下原詩で詩の解釈を行いながら注釈で説明していきます。

 

第1節

1:1 Und morgen wird die Sonne wieder scheinen,
1:2 Und auf dem Wege, den ich gehen werde,
1:3 Wird uns, die Seligen, sie wieder einen
1:4 Inmitten dieser sonnenatmenden Erde . . .

 

その前に何もなくundで唐突に始まる詩は時にあります。抑揚で加えられたり、なんというか、その前の状況をおぼろげに暗示させるようなニュアンスがあります。逆接の接続詞aberも同じような感じで使われます。

1行目の構造はシンプルでdie Sonne wird scheinen 「太陽が輝くだろう」にmorgenとwiederの副詞が付いているだけです。

2行目から4行目は長い一つの文章になっていて、ちょっと分かりにくいです。2行目はWegeに関係代名詞節が付いていて、3行目はunsとdie Seligenが同格なのはパッと見で分かるでしょう。

つまりシンプルに書き直すとこうなります。

und auf dem Wege wird uns sie wieder einen 

inmitten dieser sonnenatmenden Erde . . .

この文章の主語はsieで、女性代名詞なのでdie Sonneを受けていると推測できます。後半がやはり分かりにくいかもしれませんが、inmittenはin-mittenで2つの前置詞が一緒になった前置詞ですので、上の行のwird uns sie wieder einenだけで文章が成立しているはずです。

主語になれるのがsieだけなのはやはり間違いありません。動詞はぱっと見だとwirdだけです。einen werdenで「一つになる」と読めますが、unsは何でしょうか?unsを目的語に取るなら自動詞のwirdではなく他動詞が必要です。

ここで一度einenを辞書で引いてみましょう。einenには雅語で「~(4格)を一つにする」という他動詞があることが分かりますので、これで全ての疑問は綺麗に解決するでしょう。そのまま「太陽が再び私たちを一つにするだろう」と読んでも良いですが、具体的には「太陽が私たちを再会させるだろう」で解釈されることが普通です。

残りの副詞句は大きな問題は無いと思いますが、4行目のsonnenatmendenだけ見慣れない単語で、名詞sonnenと現在分詞atmendenが繋がっています。atmenは「呼吸する」、「吸い込む」だけではなく「吐き出す」「発散する」という意味がありますので、4行目は「太陽が光を放つこの大地の真ん中で」と読めます。

シュトラウスは3行目のdie Seligenをdie Glücklichenに変えています。Seligだと「天国の幸せ」というニュアンスが強くなりり、Glücklichだとより現世的です。

 

第2節

2:1 Und zu dem Strand, dem weiten, wogenblauen,
2:2 Werden wir still und langsam niedersteigen,
2:3 Stumm werden wir uns in die Augen schauen,
2:4 Und auf uns sinkt des Glückes großes Schweigen. . .

 

第1節で「再会した私たち」がどうするかが第2節の内容です。

1行目はStrandに関係代名詞節が付いているように見えますが、weitenもwogen|blauenも動詞で解釈するのが難しいですし、代名詞がdemなのもよく分かりません。ここはdem Strandにdem+形容詞(+Strand)が省略された形が続き、結果的に後ろからStrandを修飾していると考えるとすんなり読めます。weitenは「幅が広い」、wogenblauenは「青い波の」。

2行目は一つの文章でwerden wir niedersteigenで「私たちは下りて行く」。どこへ?を示すのが1行目のzu dem Strand「浜辺へ」。

3行目と4行目はもう難しいところは無いでしょう。3行目はwir uns in die Augen schauenで「私たちは自分たちの目を見つめる」で「私たちは見つめ合う」。4行目はauf uns sinkt Schweigenで「私たちの上に静寂が下りる」。

シュトラウスは4行目のgroßesをstummesに変更しています。「無言の沈黙」というのは重複した言い回しですが、「大いなる沈黙」というのを大仰そうに感じたためでしょうか。

 

シュトラウスの作曲は長く滑らかなフレーズと消え入るような弱音の使用によって、非常に秘やかでこの世のものとは思えない情感を描いており、「一聴して魅了されるリート」の一つでしょう。オーケストラ伴奏版も編曲されており、特にヴァイオリン・ソロが美しいことから、ピアノ伴奏でヴァイオリン・ソロ付きで演奏されることもあるほどです。

シュトラウス 『目覚めたバラ』

Die erwachte Rose

 

Die Knospe träumte von Sonnenschein,
Vom Rauschen der Blätter im grünen Hain,
Von der Quelle melodischem Wogenfall,
Von süßen Tönen der Nachtigall,
Von den Lüften, die kosen und schaukeln,
Von den Düften, die schmeicheln und gaukeln.

 

Und als die Knospe zur Ros’erwacht,
Da hat sie milde durch Tränen gelacht
Und hat geschaut und hat gelauscht,
Wie’s leuchtet und klingt,
Wie’s duftet und rauscht.

 

Als all ihr Träumen nun wurde wahr,
Da hat sie vor süßem Staunen gebebt
Und leis geflüstert: Ist mir’s doch gar,
Als hätt ich dies alles schon einmal erlebt.

 

                                       Friedrich von Sallet

 

リートでは『花』をテーマにした作品が非常に多いです。今回はシュトラウスが若い頃に作曲したフリードリヒ・フォン・ザレットの詩を読んでみましょう。ザレットは19世紀前半の軍政批判の時代に活躍した風刺詩で知られた詩人だそうですが、この詩のように風刺的な要素が感じられないものも多く書いています。ザレットは詩の表題は付けておらず、シュトラウスが多少原詩に手を加えて"Die erwachte Rose"の表題を付けました。冒頭にはシュトラウスが手を加えたものを掲載し、以下では原詩を読んで適宜注釈していきます。

 

第1節

1.1 Die Knospe träumte von Sonnenschein,
1.2 Vom Rauschen der Blätter im grünen Hain,
1.3 Von der Quelle melodischem Wogenfall,
1.4 Von süßen Tönen der Nachtigall,
1.5 Und von den Lüften, die kosen und schaukeln,
1.6 Und von den Düften, die schmeicheln und gaukeln.

 

1行目は動詞träumemがvon~(3格)で「~の夢を見る」の意味になりますので、過去形で「蕾(Knospe)が太陽の光の夢を見た」となります。2行目以下はvon~が並んでるので、何の夢を見たかが並んでいると分かります。

2行目のRauschenは叙情詩では超頻出単語で、葉っぱのこすれる音や川の流れる音など「ザワザワ、サラサラとした音」を指す擬音です。der Blätterが2格なのでここでは「木の葉のざわめき」ですね。

3行目はder Quelleが2格。Quelleは井戸か泉を指しますが、Wogenfallが「波」+「落ちること」なので、泉の方と分かります。

5行目、6行目はUndから始まるのをシュトラウスが省略してVonからにしています。2行ともden Lüftenとden Düftenにdie以下の関係代名詞節が付いていて、シュトラウスがkosen(愛撫する)を繰り返しているのが印象的な部分です。

 

第2節

2.1 Und als die Knospe zur Ros' erwacht,
2.2 Da hat sie mild durch Tränen gelacht
2.3 Und hat geschaut und hat gelauscht,
2.4 Wie's leuchtet und klingt,
2.5 Wie's duftet und rauscht.

 

第2節は蕾が開きます。

1行目のzur Ros' erwachtで「夢から目覚めてバラの花へと咲く」ということになります。

2行目のsieは女性名詞を受ける代名詞で、当然die Knospeのことです。mildをシュトラウスはmildeと変えていますが、作曲上の抑揚の問題でしょうか。durch Tränen lachenはちょっと分かりにくいですが、「涙越しに微笑む」から「泣きながら微笑む」といったイメージです。

3行目もsieに対応する動詞がundで繋がっており、schauenもlauschenも「『注意を向けて』見る・聞く」というニュアンスの動詞です。

4行目、5行目が何を見て、聞いたかで、wie es ~は非人称のesの用法で「周囲がどんなふうに~するか」となります。

 

第3節

3.1 Als all ihr Träumen nun wurde wahr,
3.2 Da hat sie vor süßem Staunen gebebt
3.3 Und leis geflüstert: Ist mir's doch gar,
3.4 Als hätt ich das alles schon einmal erlebt.

 

第3節は夢から目覚めて花咲き、周囲を見聞きしたバラの反応です。

1行目のihr Träumenは女性の所有代名詞で「蕾の夢」。wurde wahrで「(夢が)現実になった」。nunは細かくいろいろなニュアンスで使いますが、ここは「今こうして」といった感じ違和感は無いでしょう。

2行目のStaunenはこの詩の重要な単語です。「驚き」の意味ですが、特に良い意味で「感嘆」といった訳し方がされることが多いです。「恐怖感からではない、身の震えるような感動的な驚き」といったニュアンスです。ここでもvor Staunen bebenで「感動で震える」という表現が使われてます。

3行目と4行目はleis flüstern「そっと囁く」の内容がコロン以下。leiseも頻出の形容詞・副詞で「小さな音で」のニュアンスです。

コロン以下はちょっと難しいです。Ist mir's doch garはdoch garが共に強意。es ist mir~で「私にとっては~だ」といった訳ができるでしょうか。als以下で接続法2式のhättが使われてますので、「私にとっては、まるで~なようだ」という訳せるのに気づければ十分中級レベルです。als以下はerlebenが「身をもって体験する・経験する」で、schon einmalが「もうすでに一度」。つまり夢で見ていたとおりの現実がそこにあることの感動の囁きです。シュトラウスはdasをdiesに変えて強めており、これは納得の修正でしょう。

 

何人かの作曲家が作曲していますが、やはりシュトラウスの作品は非常に素晴らしいもので、第3節のStaunenの扱いから静かな囁きへの流れは流石の一言です。

 

『リヒャルト・シュトラウス歌曲対訳集』販売開始

年末年始編集作業に勤しんでましたが、ようやく完成したのでファイルをアップロードして販売開始。

 

taiyakusinsyo.booth.pm

 

残念ながらWaldkonzert, TrV 5 など録音を見つけられなかった曲が数曲あったものの、テクストは確認できたので掲載。但しDer böhmische Musikant, Trv 7のテクストだけ見つからず断念・・・ シュトラウスのTrVの作品目録も無いので全曲載ってるのか若干不安ではありますが、録音の存在する曲は全て入っているはず・・・

 

ここしばらくシュトラウスの歌曲を集中してたくさん勉強しましたが、バラードが多かったのが若干意外でした。内容はやはり深刻では無いシンプルなものが多いですね。

RIAS室内合唱団、新年コンサートはヘンデル特集

RIAS室内合唱団が毎年1月1日に行っている新年コンサート。今年は"Genius Händel"と題してヘンデルのオラトリオの合唱曲特集です。

 

イギリスのジャスティン・ドイルが指揮者に就任して初めての新年コンサートでの指揮(昨年はルネ・ヤーコプスが『天地創造』を指揮)ということで、ヘンデル・プログラムは予想されましたが、合唱曲だけ(一部行進曲や序曲)を並べるのは珍しく、ヘンデルの合唱技法を存分に楽しそうな面白い企画です。

 

Neujahrskonzert Genius Händel

Georg Friedrich Händel„How excellent thy name, o Lord - Alleluia“ (Saul)„See, the conq’ring hero comes - March“ (Judas Maccabaeus)„Plague choruses“ (Israel in Egypt)„For Sion lamentation make“ (Judas Maccabaeus)„Wanton god of amorous fires“ (Hercules)Ouvertüre (Alexander’s Feast)„Wretched lovers“ (Acis and Galatea)„Envy, eldest born of hell“ (Saul)„Save us, o Lord“ (Esther)„Fix’d in his everlasting seat“ (Samson)„Populous cities“ (L’Allegro, il Penseroso ed il Moderato)„Recall, o King“ (Belshazzar)„How strange their ends“ (Theodora)„Dances“ (Alcina)„The gods, who chosen blessings shed“ (Athalia)„My heart is inditing“ (Esther)
Akademie für Alte Musik Berlin

Justin Doyle Dirigent

 

 

シューベルト 『僕の挨拶を』

Sei mir gegrüßt

 

O du Entrißne mir und meinem Kusse,
Sei mir gegrüßt,
Sei mir geküßt!
Erreichbar nur meinem Sehnsuchtgruße,
Sei mir gegrüßt,
Sei mir geküßt!

 

Du von der Hand der Liebe diesem Herzen
Gegebne, du
Von dieser Brust
Genommne mir! Mit diesem Tränengusse
Sei mir gegrüßt,
Sei mir geküßt.

 

Zum Trotz der Ferne, die sich feindlich trennend
Hat zwischen mich
Und dich gestellt;
Dem Neid der Schicksalmächte zum Verdrusse
Sei mir gegrüßt,
Sei mir geküßt!

 

Wie du mir je im schönsten Lenz der Liebe
Mit Gruß und Kuß
Entgegenkamst,
Mit meiner Seele glühendstem Ergusse,
Sei mir gegrüßt,
Sei mir geküßt!

 

Ein Hauch der Liebe tilget Raum und Zeiten,
Ich bin bei dir,
Du bist bei mir,
Ich halte dich in dieses Arms Umschlusse,
Sei mir gegrüßt,
Sei mir geküßt!

 

                    - Friedrich Rückert

 

リート史において重要な詩人の1人、リュッケルトの詩です。自分の中では非常にリュッケルトらしい詩ですが、シューベルトしか作曲していません。シューベルトの作曲は変奏有節歌曲というシューベルトの天才性を示す形式で非常に美しいものですが、詩自体のリフレイン形式がロマン派以降の作曲家には好まれなかったせいでしょうか・・・ 

 

第1節

1:1 O du Entrißne mir und meinem Kusse,
1:2 Sei mir gegrüßt,
1:3 Sei mir geküßt!
1:4 Erreichbar nur meinem Sehnsuchtgruße,
1:5 Sei mir gegrüßt,
1:6 Sei mir geküßt!

 

まず詩の表題で何度も繰り返される"Sei mir gegrüßt"の解釈から始めましょう。gegrüßtは動詞grüßen 「~(4格)に挨拶する」の過去分詞で、sein動詞の命令形seiがあるのでduに対する『受動の命令文』となります。直訳すれば「挨拶されよ」で、聖書を訳したマルティン・ルターが大天使ミカエルのマリアへの挨拶"Ave Maria"のドイツ語訳で"Gegrüßt seist du, Maria!"とこの表現を用いており、後の時代でも好んで使われる上品な挨拶の言い回しです。3格のmirの意味はvon mir「私からの」のvonの省略と考えても良いですが、3格の用法で説明できるような気もします・・・ 

Sei mir geküßtも文法的に全く同じで、直訳すれば「私からキスされよ」。

似たような表現方法に形容詞 willkommen「歓迎される」を使ったsei (mir) willkommen (私に歓迎されよ=ようこそ)というものもあります。

重要なのは主語が「私」ではなく「あなた(du)」である点ですね。この詩の文語体の古い訳では「挨拶を送らん」と「私」を主語にした訳が用いられていますが、本来のドイツ語の言い回しでは「私の挨拶、私のキスをどうか受け取ってください」というものです。

 

1行目Entrißneは動詞Entreißen「~(3格)から強引に奪う」の過去分詞の形容詞的用法から名詞化された「~(3格)から強引に奪われた人」。duと並んでいるので同格で「~(3格)から強引に奪われた人であるあなた」ですね。3格はmirがすぐ目に付きますが、undで繋がっているmeinem Kusseも男性3格でこの2つがEntrißneに支配されています。Entrißneの「強引に奪われた」というニュアンスは非常に重要で、「私」と「あなた」以外の別の何かによってやむを得ず引き離されてしまった相手への呼びかけということをこの1行目が示しています。

 

4行目は形容詞 erreichbarが動詞erreich「届く・到達する」から派生したerreichbar「手の届き得る・到達可能な」の意味で、3格が「~にとって」の意味になるのを察知できるかどうかがポイントです。このあたりの3格の細かい用法は初級から中級に上がる上での非常に大きな壁ですが、1つ1つ例を覚えて慣れていくしかありませn。

この行は動詞がありませんので、Sei mir gegrüßtと同様に本来はsei (du)~で始まる命令文になります。つまり「あなたは(私から強引に奪われていても)私の憧れの挨拶(Sehnsuchtgruße)にとってだけは手の届く人であってください」という意味になりますが、ニュアンスとしては「せめて私の憧れの挨拶(Sehnsuchtgruße)だけはあなたに届きますように」という感じです。

 

第2節

2:1 Du von der Hand der Liebe diesem Herzen
2:2 Gegebne, du
2:3 Von dieser Brust
2:4 Genommne mir! Mit diesem Tränengusse
2:5 Sei mir gegrüßt,
2:6 Sei mir geküßt.

 

よく見ると第2節は文章が切れずに1行目から4行目の途中まで続いていますが、du~が2つ続いているので、ぱっと見で「~なあなたよ!」が2つあると感じられます。

1回目のdu~はder Liebeが女性2格、diesem Herzenが中性3格ですので、von der Hand der Liebeで前置詞句「愛の手から」、Gegebneは動詞geben「~(3格)に与える」の過去分詞の形容詞的用法から名詞化された「~(3格)に与えられた人」。

2回目のdu~はGenommneが動詞nehmen「~(3格)から取り去る」のやはりの過去分詞の形容詞的用法から名詞化された「~(3格)から取り去られた人」。ここではvon dieser Brustも「この胸から」でmirの「私から」と重なってますが、併せて「私のこの胸から」となります。

4行目のTränengusseはTränenとGusseという2つの名詞の合成語で、Gusseは「一注ぎ」の意味。

 

第3節

3:1 Zum Trotz der Ferne, die sich feindlich trennend
3:2 Hat zwischen mich
3:3 Und dich gestellt;
3:4 Dem Neid der Schicksalmächte zum Verdrusse
3:5 Sei mir gegrüßt,
3:6 Sei mir geküßt!

 

この節は3行目のセミコロンで1~3行目と4行目を踏まえてSei mir gegrüßtに繋がっています。

1~3行目はZum Trotz der Ferneの後にdie~の関係代名詞節がくっついています。trotzは前置詞でよく見かけますが、名詞では zum Trotz~(3格)で「~(3格)に抵抗して」という熟語で主に使われます。

dieの先行詞はdie Ferne「遠さ」。関係代名詞節の動詞はsich gestellt hatで現在完了。前置詞zwischenはundを使って「~と・・・の間に」で、繋げると「~と・・・の間に立ちはだかる遠さ」となります。このzwischen mich und dichのように詩では改行によって構文を把握しにくい時がありますので、よく分からなくなったら改行を修正して読んでみるのは有効な手段です。trennendは動詞trennen「分け隔てる」の現在分詞。

4行目はDem Neid「嫉妬」と3格に複数2格のder Schicksalmächte「運命の様々な力」がかかり、zum Verdrusse~(3格)が「~(3格)に腹立たしさを覚える」の意味ですので、「運命の力の嫉妬に腹を立てて」という意味でZum Trotz~と並列になります。

 

第4節

4:1 Wie du mir je im schönsten Lenz der Liebe

4:2 Mit Gruß und Kuß

4:3 Entgegenkamst,

4:4 Mit meiner Seele glühendstem Ergusse,

4:5 Sei mir gegrüßt,

4:6 Sei mir geküßt!

 

「私」と「あなた」を隔てようとする力に激しく抗おうとする激しい第3節から、最後の2節は一気に世界が広がって甘美な空想が広がります。

1~3行目がwie~「~のように」の従属節です。im schönsten Lenz der Liebeが前置詞句。Entgegenkamstという長い動詞がありますが、entgegen・kommenで「出迎える」の意味。

4行目はmeiner Seeleが女性2格でErgusseが2:4で出てきたGusseの派生語ですが、「噴出・迸り」という激しめの意味になります。glühendstemは動詞glühen「熱く燃える」の現在分詞の形容詞的用法の比較最上級。

 

第5節

5:1 Ein Hauch der Liebe tilget Raum und Zeiten,
5:2 Ich bin bei dir,
5:3 Du bist bei mir,
5:4 Ich halte dich in dieses Arms Umschlusse,
5:5 Sei mir gegrüßt,
5:6 Sei mir geküßt!

 

1行目は主語がEin Hauch der Liebe「愛の息」、動詞がtilget「消し去る」、目的語がRaum und Zeiten「空間と時間」。

2~3行目のIch bin bei dir, du bist bei mirはおきまりの表現でbei~(3格) seinで「~の芝にいる」。

4行目はIch halte dichで「私はあなたを捕まえる」で、前置詞句in dieses Arms UmschlusseでUmschlusseが動詞umschließen「抱く」から派生した名詞で「抱擁」となります。schließen「終わらせる」に対するschluß「終わり」と同じ関係です。

 

 

シューベルトのリュッケルト歌曲ではDu bist die Ruh'が最も有名ですが、個人的に一番好きなのがSei mir gegrüßtです。シューベルトはヴァイオリンとピアノのための幻想曲の中でも変奏主題をこのリートを採用しており、本人もお気に入りだったでしょう。